20220302_、読点
2022年3月2日、わたしは『おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)』の解体を文字通り試みるために「、(読点)」という記号を眺めていた。わたしにとってそれは音楽の休符みたいなものだ、ということはずいぶん前から知っていて、何年も何年もわたしによって書かれた言葉は「、読点」によって息をとめ、息を吸う。
時には、
(改行)とかも使用しつつ
リ、ズ、ム、を、つ、く、る
という風に文(節)末に「、(読点)」も「。(句点)」もない場合には結語をもたず宙空に浮く。それを不可視の「𝄐(フェルマータ:音符や休符を十分に伸ばす)」としてわたしは扱っている。
そして当たり前?かもしれないが?
「、(読点)」は、文中に現れる時、それ以前に語られた言葉の残響を湛えつつ、
その直後に来るほんの少し先の未来に語られようとしている言葉をすでに予感している。
「、(読点)」の打たれた概念的な場所はアーカイヴされたものとアーカイヴされるものという境界にあるのかもしれない。