20220302_これは

2022年3月02日、わたしは『おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)』の解体を文字通り試みるために「これは」という言葉を眺め考えていた。名もなきそれを呼ぶ術である「これは」、ほらあれ、あれ、あれ、なんだっけ?のときのあれとは違って何かしらの革新に満ちている(気がする)。それは I know what I am talking aboutっていう感じの態度かもしれない。「これは」の存在も所在も確かだ、と。なぜなら眼の前にあるのだから、と。だが眼の前とはどこなのだろう?誰かの眼の前というロケーションがどこかに常にあるのを知っている、としても、それは例えば「これは」日本国に住んでいてどの都道府県だかもその郵便番号も番地も知っていて何階の何号室だかも知ってはいる、としても、常にベランダの右端に座り込んでいるわけでもないようなもので、最終的には不確定で動的な可能エリアとして「これは」、と示すことくらいしかできないリサイクル可能なパッケージなのかもしれない。