20220302_としたら
2022年3月2日、わたしが『おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)』の解体を文字通り試みるために「としたら」という言葉を眺め考えていた「としたら」、何かを仮設・仮説し条件づけて、それを(ある程度)結ぶカタルシス的な言葉を期待させると考えた「としたら」、常にその顔の向きを右から左、上から下などある方向からどこかへと振ってみせる「としたら」、それと同時にそれ以前に語られた内容を受容しつつも、決して全面的に肯定したり、よもや断定したりすることはない「としたら」、だんだんと幼児のなぜなに攻撃かあるいはハッカーたちによるDDos攻撃ばりに繰り返されためこまれていくテンションが行き場を失う「としたら」、その先にはブレイクダウンが待ち受けているのだろうか?