20211011_おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)_共有

phase0(から1へ)

2021年8月5日。〈『おそらくこれは展示ではない。』(仮)〉という一文を、タイトルの様なものとして、テキストファイルの左上の隅っこに打ち込んだ時、プロジェクト胎動のきっかけとなったメール1–1を受け取ってから286日が経っていた。そこからさらに2ヶ月ほどたった353日目の今日、10月11日、今まさに読まれているこの文章が綴られつつある。(と今まさに綴られた)、という書き出しが良いかもしれないと思いはじめたのは昨日か一昨日あたりのことだが、〈このプロジェクトは3ヶ月超の時間を要する。〉とした8月5日採用の表明(たねまきアクア08 p31に全文掲載)と同様に事実ベースでジャーナル風の出だしに通じる点が、うん、悪くない。1–2

  • 1–1 プロジェクト胎動のきっかけとなったメール

    “2020年10月23日にわたしはそのメールを受け取った。もともとは@KCUAで開催されたイベントに出演したお礼の挨拶だとか、イベント中に言及した作品のリンクを送ったりだとかなんとかというやりとりであったのだが、「さて、いきなり別の話題なのですが、mamoruさんにご相談したいことがあります。」という見事な切り出しのもと、京都市立芸術大学芸術資料館収蔵品活用展という枠組みを使ったプロジェクトを打診された。わたしとしてはかなり意外であった。その理由はまた機会があればお伝えするとして、なんせ不意打ちに近い感じ、と言ってもよいくらいだった、のでメールの主にその真意、というか詳細ですね、を確かめたところ「大学が持つ芸術資源(有形無形問わず)はどのように活用可能なのかを考えるためのシリーズで、極端に言うと持ってくるものは1点でも成立する、と思っています。」というような返信がありさらに驚いた、1点とは!と、同時に、これは面白いかもしれないという予感が走った。そのメールの主とのやりとりは続き「大学が持つ芸術資源」のより無形なものであると思われる「やってみる」みたいな大学が本来もっている「お仕事チックな“置きに行く”行為ではない」教育機関ならではのバッファを最大限に活かすことが下敷きになった末に(彼女は「第十門第四類」を作り出すプロジェクトの主要な一人のプレイヤーとなり、他のプレイヤーも加わり)今回のプロジェクトが「おそらく・・・」生まれたのだと思うとすでに感慨深い。”

  • 1–2 うん、悪くない

    こういう符合する感は時にアイデアを横断する際の*vehicleになることがある。音楽的な時間の中で音程関係によって成るモチーフやリズムの構造が何かしらのまとまりを生み出すことがあるのと似ているだろうか。

  • *ve・hi・cle | víːək(ə)l, víːhɪ- |〖語源は「運ぶ道具」〗名詞複~s | -z | C⦅かたく⦆
    1 乗り物, 車 (!通例陸上用でエンジン・車輪の付いたものをいう)
    ▸ motor vehicles
    自動車(類)〘car, bus, truckなど〙
    ▸ a space vehicle
    宇宙船
    ▸ four-wheel-drive vehicles
    四輪駆動車
    ▸ an armored vehicle
    装甲車
    ▸ a solar-powered vehicle
    太陽電池式の車.
    2 【目的達成の】手段, 方法; 【思想・考えなどの】表現手段, 伝達手段, 媒体 «for, of»
    ▸ a vehicle for self-expression
    自己表現の手段
    ▸ Language is the vehicle of thought.
    言語は思考の伝達手段である.

この文章は今回のプロジェクトにおける〈強いて言うならば、ひとつの体験としてはなかなか把握しきれないだろう時間のなかにつくられていくストラクチャー、期間中に生まれる様々な響き〉(と言っても意味論的な意味での響きだったり振る舞い・行為といった意味での響きだが)〈とその重なりや残響によってうみだされるコンポジション〉を文字通り(文字によって)体現1–3し雰囲気が伝わる何かしらとなるべくして書かれはじめたのだが、それはそうとして、果たしてコミュニケート1–4していますか?

  • 1–3 体現

    グルーヴ(レコードの溝)は音の連なりが刻まれた「もの」であると同時に音の連なりを再生するものである様に、私が書く文字は、おそらく体験され、過ぎ去るものとして打ち込まれ、また体験され、過ぎ去るものとして再生され得る文体を目指す。これを「グルーヴ体」と仮に呼ぶ。

    *グルーヴに関する論考はCOMPOST 2020掲載の「あえて間違った読み方を」(石原知明)を参照した

    造語的な努力、文体の揺らぎ、既存の作文プロトコルを疑い迂回路を求める本能、読点の多用で書き言葉のサステインペダルを踏み続け読み手が保持できる意味の時間性の破綻と構造のねじれを企図した上で、新たな意味再生を期待したり、そういうことがあってもなぜか読めてしまう響き・リズムとしての文体(あるいは歌・詩)や、(かっこ書きによるsuper imposition、というか俺的にはカウンターポイントかな)、も自分なりに培ってきたものだから。

  • 1–4 コミュニケート

    全てを書き記すことは不可能だし、そもそも要請はされていない、要請されていないことをやってはいけないわけでもないし、規範なんて逸脱してナンボでもある、かといってコミュニケートしないことは何かまずい気もする。

やや具体的に言おうとしてみようとするなら、スケジュール(という名のスコア)1–5が発表されるだろう、12月、1月、2月、3月を別々のphaseとして区切られ(と言いつつ、0から1の間に無数に存在し知り尽くすことなど出来ない数たちのように、恐らくずっと何かが連綿とあるのだろう、と思うが)、それぞれのphaseの出発点(つまり全体的に見れば通過ポイント)を設定し、私の探究と制作活動、これまでに培ってきたタクティクス1–6を横断しながら紐解いてみるつもりであることも予告されるのだが、〈そう、譜面はある。〉し、それは「地図」のようなもので1–7、おぼろげに「ルート」も描かれているかもしれない、〈もちろんプレイヤーもいる。アドリブが生まれ、予期せぬ飛び入りもあるかもしれない。コンポジションは自身を拡張したり、越えるための手がかりをも抱いている。そうであってほしい。有観客だろうが、ブラウズする人だけになろうが、そこに人が行きかい、厳密に言ってフリーではないがジャズではあるかもしれないそれを、おそらくほんの一部だけを聞く、あるいは目撃し、何かしらのタイミングとチャンネルがあえば体験する。〉のかなぁ、と想像はしているんだけど、果たして、相変わらず、それが何だ?と問われても、あぁ、まさにそのこと(だけ?)を考えているんですよねぇ、としか言えない気がしている、この先も、割とずっと。

  • 1–5 スケジュール(という名のスコア)
  • 1–6 タクティクス

    ここでいうタクティクスはミシェル・ド・セルトーが「日常的実践のポイエティーク」の中で語った内容に感化されている。なんとかしてやっちゃう(手段をDIYしたりしつつ目的を達する)的なブリコラージュの作法・精神を参照して読んでもらえたなら、それに越したことはない。

  • 1–7 「地図」のようなもの

    [アーカイヴ]の沈黙/前言説性を聴く=理解する・しようとする|を準備し 用意する 眼差し|スケッチ|drawings|思片|メモ|ノート|発話|recordings|それらの[残響]
    [アーカイヴ]の沈黙/前言説性を聴く=理解する・しようとする|を語らせようとする―activation―を展示することでperformされ得る何かとは?
    [歴史]は/を[記述する]
    (2020年12月1日の「思索の地図」より)

    mamoru「思索の地図」

そう言えば、このプロジェクトが胎動を始めた頃、コロナをきっかけにしてこれまでの活動を振り返ることに着手したわたしは、移動と整理の繰り返しを経た上でしばらくの間古い平屋の押入れに押し込められていたボロボロのダンボール箱、を引きずり出しながら、直接箱に油性マジックで書き込まれすぎてもう意味をなさなくなっていた中身のメモを読解しようとしたものの、結局のところは何だかわからないものになりかけているからあけて確認するしかなくなってしまったものたちを引っ張り出し、つまみ出しては、これなんでとってるんだっけ?とばかりに首をひねり、あーもしかしてあれかな!と横道にそれ過ぎはじめる、とてつもない長い道のりを感じながら、そもそもこの果てしない道の先なんてものがあるのか?先が無いなら「道のり」かどうかも知り得ないではないか?という、一段深まった風な謎に包まれたりしていて、それとは少し別のきっかけで意を決して、から随分とたった2021年の9月某日、過去の活動であれこれのハードディスクに分けられていたものを「全データ」集合!的にハードディスクに入れ直そうと思ったら、今時のコンパクトかつカラフルな5TBのハード2つに可愛らしく収まった「全データちゃん」1–8みたいな10TB以下な私の20年に、なんだろなという可笑しみ、たったこれっぽっちなの?という一抹のやるせなさと、まーこんなもんか!というそこはかとない清々しさが、たぶん、いりまじった妙な感じに正直今も軽くうろたえている。

  • 1–8 「全データちゃん」

    2003年頃から自作・改造楽器やループサンプラーなどを使った即興演奏に取り組んでいた頃の音源や映像記錄が焼き付けられた数百枚のDVDに残っているありとあらゆるデータを足したとしてもそこまで変わるものではないだろう(が、あれもハードに移すのか?と思うことは、that's not the point、本筋から逸れる、という理屈で避けている)。

〈今度のコンポジションのマテリアルにはWeb、ハイパーテキスト、展示空間、イヴェント、パフォーマンス、その他に具体的なテーマとしてはアーカイヴ、それに関連して特に自身のこれまでの活動そのものをマテリアルとしたものにしたいと考えている。〉ことを体現するために早速こうして8月5日に書き送ったメールの本文(たねまきアクア08 p31掲載」)を引用、というよりは、思考を進め、上書きしている風に見えないかな?という考えのもと新たなテキストとして書いているわけだが、このプロジェクトに登場する諸々っていうのは〈それぞれは特段新しいマテリアルでもないだろう。ただ、私にとってのチャレンジは果たしてこれらをどうコンポーズし、自分を含むプレイヤー達に伝達するものとしていかに記述し得るのか、という点。そしてそれはほぼ同時にパブリックにむけられる。それはパフォーマンスなのだろうか?そんなパフォーマンスは可能なのか?という点。〉だろうなと変わらずに思っている、つまりはじめに立てた「おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)」という問いは、今やバリバリのvalidなのだ。(冬の風が寒い)

補足

phase0(から1)のためのテキストの締め切りは10月15日、357だったはずなんだが、Webの特性を活かし、今(10月18日、360)現在も最後の言葉は打ち込まれることなく、なんとなく最後の文章っていうのがあるとすれば、「このプロジェクトの開始(されていたこと)を告げることにする」くらいのことになるんではないだろうか?(と思っている)

Last updated 2021.11.25.