20220103_プロジェクトアップデート
phase(0以前から)1(から2へ)
2022年1月3日早朝
初夢ならぬ初ひらめき。前phase=京都市立芸術大学芸術資料館収蔵品活用展『第十門第四類』プロジェクトアップデート9–1の公開にあわせて顕わになった全ての要素、とそこからプレイヤー9–2間に生まれた一連のインタープレイとフィードバックがようやくあらかた餅9–3とともに喉元を通り、それらへの理解が言葉となりそうな「予感」を得ました。
- 9–1 京都市立芸術大学芸術資料館収蔵品活用展『第十門第四類』
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- 9–2 プレイヤー
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mamoru:
今回のプロジェクトの発案者。プロジェクトの発信源となるハイパーテキストの執筆者。そのテキストは転じて各プレイヤーに向けた投げかけでもあり、時にはスコア的なものにもなっているので、いわばコンポーザー的バンドリーダー的な役割のプレイヤー(相当な部分が各プレイヤーにゆだねられているため、プロジェクトを「私の作品」のようには考えていない)。2階のシアタールームの映像出品者。池田精堂:
会場を舞台に設営=展示技術を用いたパフォーマンスを行う。仲村健太郎、小林加代子(Studio Kentaro Nakamura):
特設ウェブサイトならびに関連資料を担当。松本久木(有限会社松本工房):
収蔵品活用展の紙媒体の告知ならびに会場のビジュアルデザインを担当。藤田瑞穂(@KCUA):
「第十門第四類」構成、各フェーズでの変化に伴って出されるテキストと記録、プロジェクトの企画・運営を担当。
- 9–3 餅
★アップデート内容に関して
これまでのところ(暫定的に)自分の活動の全体を時系列に沿って徐々にマテリアル化していく感じでプロジェクト予想図を描いていましたが、〔アーカイヴ〕の声を聴き、考察すること」9–4から現在も起き続けているプレイヤー間の興味深いインタープレイとフィードバックを観察し記録すること、またそれに端を発するプロジェクトそのものの変化を深めることに注力したい、という動機と、その他思うところ*もあり、『THE WAY I HEAR』シリーズをひつとの主要なマテリアル・軸にしたいと思います。これに伴いphase(0以前から)2(から3へ)の意味合いとスケジュール感が大きく変化します。9–5ご注意ください。
- 9–4 アーカイヴの声を聴き、考察する
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- 9–5 スケジュール感が大きく変化します。
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「20211014_おそらくこれはスケジュールでありスコアでもある」に反映する必要あるな、と思うので、してみ(て)ます。
「20220103_Copy of 20211014_おそらくこれはスケジュールでありスコアでもある」
思うところ
今から振り返れば、即興演奏や日用品や日常的な仕草を組み替えて生まれる響きなどを扱った『日常のための練習曲』9–6を含め「実際の音」を扱っていた初期の活動から、「言葉」をマテリアル、起点に「想像的に聴く音」へと主眼を移していく過程で生まれたのが『THE WAY I HEAR』9–7というシリーズだった、と言えると思います。
「過去に誰かが何かの目的で綴った言葉」をリスニングする9–8ところから「音的なもの」を「採集」することをかなり意識しはじめたこと(例えば・・・XXXX年X月X日 雨 という記述からは雨の音が想像でき、その時の気象図が手に入ればその雨のディテールに耳を澄ますことができるだろう、などなど)が、それまでとそれ以降をわける重要な分水嶺になっているかな、と思うのですが、その音的なものの「採集・標本」的なニュアンスのものも、もう少し今回のプロジェクトで扱えるかもしれません。
今回、8年塩漬けにしていた府中市美術館でのパフォーマンス映像データを発掘し、藤田さんの助けも得つつ、蘇生させ、編集し、再生にまでこぎつける9–9過程で、久々にそれらの「標本」を見返す気分になったこともあり、どう使うのか、あるいは使わないか、も含めぜひとも検討していただきたく一部を@KCUAに送ろうと思います。もしかすると1Fのケースや絵手本などと取り替わったり?また別の方法で現状に侵食する可能性があるでしょうか?という意味では空間にも、もしかすると影響するかな、と思うところです。
その関連で言えば、「言葉」ではないのですが、空間に吊るされてる飛行機の紙模型も同シリーズより『THE WAY I HEAR/LAKWATSA, Manila 2013』9–10を展示した際に「音的なものを再生させるもの」として制作したもので、何故かこの紙模型が最初から空間に飛んでいたり、その画像が今回のプロジェクトのメインビジュアルになっていたりすることも示唆的であったのか?とすら思う、なんてもっともな感じにも書いておきます。
感覚的な事ですが、この時期の資料、考察、実験を紐解くなかで「一時停止したもの」に触れる感じがする、という実感も何かしら今回のアップデートに影響していると思われます。自分の活動の一部であったものなのですが、すごく距離があるもの、でもいちいち全部いろいろ覚えてはいる。どういうわけか、それ以降のものだと「まだ終わっていない感じ」が強くてアーカイヴに接しているという感じがあまりしない。時間的には確かに現在以前の何かなのですが、このことも気になっています。
付け加えて言うなら、なんとなく『第十門第四類』の絵手本に接するうちに、今の私にとっては教則本のような『THE WAY I HEAR』シリーズというものがしっくりくるということなのかもしれません。
とは言え、おそらく今後思いついて書くだろうテキストに関してはそのあとはじめたシリーズに関する考察、特に現在のもの、が当然ながら混じってくるとは思うのですが、今日のアップデートとしては「軸」をいったん『THE WAY I HEAR』にしてみようかな、ということになります。
- 9–6 『日常のための練習曲』
- 9–7 『THE WAY I HEAR』
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- 9–8 「過去に誰かが何かの目的で綴った言葉」をリスニングする
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もちろんこの感覚が「THE SOUNDSCAPE」(R.マリー・シェーファー、1977)の影響下にあることは言うまでもありません。
- 9–9 再生にまでこぎつける
- 9–10 『THE WAY I HEAR/LAKWATSA, Manila 2013』