VOICE @KCUA

たねまきアクア 02

福永信「常設展示について相談ひとつ」

「VOICE @KCUA」@KCUAの広報誌「たねまきアクア」に連載中のコラムです。各号、さまざまなジャンルの書き手が登場します。 第2回は、小説家の福永信さんです。

私は、美術館の常設展示を紹介する原稿を毎月書いている者です。こんにちは。その原稿は「福永信の常設大陸」というタイトルなんですが、共同通信配信の記事なのです。ええ、そうなんです。今年44 歳、情熱を注いでがんばっておるのですが、今日はそのことでお若いみなさんに相談があるのです。西日本限定のレアな配信なので、関西や中国四国九州地方等の美術館を訪れるのですけれども、これが意外とむずかしいのですよね、ええ、常設展示というのが、見つけにくいのです。つまり、常設展示はどこにあるんでしょうか。それが今日の相談なんです。はい。たしかに、多くの美術館に常設展示のスペースはあります。あるのですが、展示替えが前提になっているじゃないスか。「常設」とは言えないでしょう、そういうのは。正直、困ってます。しかも、最近の傾向なんですか、コレクション展という名で企画展とそう変わらぬ展示が、ごくろうさまなことに、なされる場合もあります。え、美術館の片隅ですか。そこに目をやってごらんなさいと言うのですか。そこに常設展示があるのですか。どれどれ。いやあ、しかし、美術館の片隅、すごくじめっとしているというか、人がいない。うわなんか踏んだよ。ねえ、こんなところには地味な野外彫刻しかありませんが……ああ、なるほど、野外彫刻は地面に突き刺さっておりまして、重たいですから、動かせません。晴れの日も雨の日も、毎日、展示されています。つまり、これは、常設展示だ、と。でも増えていくのでしょう? 毎年、購入するんじゃないですか、新しい作品を。え、購入予算がない。それはとても面白い。いや、予算がないことが面白いと言ったわけではないのです。そうではなくて、開館当時の空気が、ほら、なんて言うのかな、「がんばろうじゃないか」とかそんな心意気がこの野外彫刻の設置場所の周辺には……ええ、はい、こうして、誰ひとりいない美術館の片隅で、耳を澄ましていると、「これからおれらやるよ」、そんな20 年前の威勢のいい声が聞こえてきそうです。「私達、やるわよ」という30 年前の初々しい声が聞こえてくるようです。アーティストの声なんか掻き消えてしまいそうです。それでいいんです。美術館にはいつも「現在」が漂っている。物故作家であったとしても、「現在」に調律して展示するわけです。なぜ今、この作家なのか。学芸員はいつもそんなことを考えているんだと思うんです。よく生誕百何十年とかあるでしょう。それは現代に合わせてその物故作家をチューニングしているわけですね。現在、その作家がどう見えるのか、現代においてその作品はどのように映るのか、美術館の腕の見せどころですよね。今、生きている人間達が展覧会を作り、今、生きている人間達に見てもらうわけです。展示替えをする「常設展示」にしても、コレクション展という名の「常設展示」にしても、やはり、どちらも「現在」に照準を合わせている。でも美術館には、過去の時間も漂っていてほしい。物故作家だけでなく、物故学芸員も、物故観客も、つまり、もうこの世には「いない」人間が、混ざっていてほしい。もし、ほんとの常設展示、飾りっぱなしの常設展示があるならば、それを設置した学芸員、見た観客、それを維持してきた学芸員、その維持されてきた展示を見た観客、そんないくつもの時間の重なった「視線」が、展示場所に保存されるはず。「このインスタレーションを見てきた」人間達の視線が何十年分も保存されているような、作品が生き続けるだけでなく、いつまでも人の視線が生き続ける場所に、美術館がなればいい。中途半端な、企画展めいた常設展示は今すぐやめて、ほんとの常設展示、飾りっぱなしの展示にしなさい。ぜひそうなさい。若い人に相談と言っておきながらこうして説教を堂々と書く。それが中年ということの証左でして、今後ともよろしくお願いします。

2016年5月31日(火)更新

福永信(ふくなが・しん)
1972 年生まれ。小説家。『アクロバット前夜』(2001 /新装版『アクロバット前夜90°』2009)、『あっぷあっぷ』(2004 /共著)『コップとコッペパンとペン』(2007)、『星座から見た地球』(2010)、『一一一一一』(2011)、『こんにちは美術』(2012/編著)、『三姉妹とその友達』(2013)、『星座と文学』(2014)。 REALKYOTO でブログを連載中。