VOICE @KCUA

たねまきアクア 04

永守伸年「屈折考」

「VOICE @KCUA」@KCUAの広報誌「たねまきアクア」に連載中のコラムです。各号、さまざまなジャンルの書き手が登場します。 第4回は、京都市立芸術大学美術学部講師の永守伸年さん(専門:哲学)です。

最近はしゃがみこむことについて考えている。これがけっこう奥が深いような気がする。

たとえば、しゃがみこむイエスを想像できるだろうか。すっくと背をのばすイエスになじむものの意表をつくこの姿勢は、ヨハネの福音書の􀀁章に記されている。姦通の罪を犯した女が石を投げられいたぶられる場面。イエスは群衆を制して立ちはだかるわけではない。「イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた」。まわりがやかましいので説教をするだけして、「また身をかがめて、地面にものを書きつづけられた」。いったい何を書いているのか。なぜ書いているのか。どんな研究にもそれらしい注釈はない。女がむざんに殺されかかっている、その傍らで、しゃがみこみ指でものを書きつづける。しかしこの奇妙なふるまいに、イエスの天性の孤独があらわれているように思えてならない。

スイスの作家、ロベルト・ヴァルザーの晩年もうつむ き加減に過ぎていった。こちらはしゃがみこむというより、かがみこむと言うべきか。ものを書くほかとくにやることもなかったヴァルザーは、老境にさしかかって独自の執筆スタイルをあみだした。ちびた鉛筆、それも、おそらくは濃ゆくてやわらかいやつで、紙片に豆粒ほどのアルファベットをひとり書き散らす。誰に読ませるつもりもなかったはずのその紙片は、のちに忠実な研究者たちによって解読され、ミクログラムとして出版された。それを読むことはかがみこむことの意味を探ることでもある。思考をすばやく文字に伝えるための姿勢。首をひっこめ水面ぎりぎりで呼吸するための姿勢。そこから小説『盗賊』の、チャーミングな冒頭が生まれてくる。

「エーディットは彼女を愛しています。でも、詳細は後ほど」

サン・ピエール島に残されたルソーの書斎も、ヴァルザーと同じくちんまりとしたものだった。栄光をきわめ、まもなく追放されたルソーはビエーヌ湖上の孤島に流された。『孤独な散歩者の夢想』の􀀂章では、この島の植物採集が「本当の安らぎ」を与えたことが回想される。しかし読みすすめていくと、ここでもなお、かれを苦しめた分類の衝動がやまなかったことがわかる。「一本の草の硬毛も、どんなに小さな植物でも、細かに記さないではいられなかった」。「ウツホグサの二本に分かれた長い雄しべ」、「イラクサやヒカゲミズの雄しべにある弾力性」、「ホウセンカの実やツゲの蒴の破裂」。ルソーのつくった植物標本の写真をながめながら、膝をついて草花を手折るグロテスクな中年男を思い浮かべる。

90歳の祖母は、ルソー以上の年月をかけて田畑の草を抜いてきた。ナス、トマト、ピーマン、キュウリ、大豆、空豆、インゲン豆を収穫してきた。いま、病気が進行していると聞いて祖母をたずねると、咳が出ないよう、膝をかかえ座椅子に座って迎えてくれる。とりとめのない昔話に耳をかたむけていると眠くなり、目をさますと、記憶にある姿勢よりもやや猫背の横座りで祖母は洗濯物をたたんでいる。久しぶりにあつまった5人の孫の洗濯物をたたんでいる。テレビをつけっぱなしにして、芸能人が死んだりすると涙ぐむのだった。子供のころ、この田舎の家を訪れて喘息の発作を起こしたとき、柔らかな洗濯物の山に首をつっこんでうずくまり、そのにおいに安心したことを覚えている。

こんなことを考えるのにはきっかけがある。ただでさえ腰をかがめて仕事に打ちこむひとによく出くわす芸術大学の、分岐して延びる道を歩いているときだった。校舎に向かい右手に折れる、石の小径に巻かれるようにして茂る葉むらの根元に、思いがけずどんぐりを見つけた。一個ではない。大きさと、たぶん色あいも周到に揃えられたどんぐりが、ピラミッド状に積み重ねられている。わずか半年のあいだ同じものを構内で三つ見つけた。注意すれば目にとまりそうな、手を伸ばしたくなりそうな低い位置に、四段組みでつやつや光っている。そのたびに枝葉をかきわけしゃがみこみ、この小憎らしい、どんぐりのたくらみの犯人の前かがみを想像してみる。そしてしゃがみこむことについて考える。

2018年3月20日(火)更新

永守伸年(ながもり・のぶとし)
1984年生まれ。京都市立芸術大学講師。
京都大学大学院文学研究科にて倫理学を専修し、2015 年、同研究科で学位を取得(博士(文学))。日本学術振興会特別研究員を経て、2016 年より現職。専門は、カント哲学、現代倫理学。主な論文に「信頼概念の射程:自律概念の再検討を通じて」(『倫理学年報』62 号、2013 年)など。著書に「感情主義と理性主義」(『モラルサイコロジー:心と行動から探る倫理学』太田紘史(編)春秋社 pp. 187–218)がある。