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展示風景/撮影:来田猛

SPECIAL EXHIBITIONS

京都市立芸術大学創立140周年記念/開館10周年記念展

京都市立芸術大学芸術資料館収蔵品活用展/横内賢太郎「誰もに何かが(Something for Everyone)」

新型コロナウイルスの感染拡大によって、人々の移動や対面でのコミュニケーションが大きく制限されるようになって数ヶ月が経ちました。世界中の人々が、当たり前だった「これまで」を振り返りながら、来るべき「これから」について、立ち止まって考える日々を過ごしています。この依然とした非常事態の中で行われる本企画では、あらためて異文化との接触やコミュニケーション、またそれらがもたらすものについて、京都市立芸術大学芸術資料館収蔵品、また本学大学院美術研究科博士(後期)課程修了生の横内賢太郎の現在進行形の実践と思考の中に見出すことを試みます。

本学芸術資料館には、明治期から現在まで歴代の卒業・修了作品が収蔵されています。これらの作品を順に辿ると、時代を追うごとに表現の傾向が移り変わっていくのに気づかされます。最初期の特筆すべき変化としては、1903年の京都市紀念動物園(現在の京都市動物園)開園以後、動物が積極的に描かれるようになったことや、欧州視察で知見を得た竹内栖鳳(1864–1942)をはじめとする当時の教員から学んだ西洋画表現からの影響などが挙げられます。本企画では、これらの「出会い」が作家たちにもたらしたものとその受容のあり方を、入江波光(1887–1948)、渡辺与平(1889–1912)、村上華岳(1888–1939)の3名の画家の卒業作品から考察します。

そして、2階の展示室では、横内賢太郎による「誰もに何かが(Something for Everyone)」が展開されます。横内は「文化的接ぎ木」をキーワードに、さまざまな文化的・歴史的背景を持つイメージをメディウムによって画面上に転写し、ステイニングの技法(下地処理を行わない画布に絵具を染み込ませる)を用いてそれらの図像を画面上で再接続する絵画作品を制作してきました。その姿には、本企画で取り上げる明治期の作家たちが、模写による学習からはじめて、自らの表現を模索していった様が重なるようでもあります。

2007年に本学大学院美術研究科博士課程を修了して以後、数年間日本で作家活動を続けたのち、横内は2014年にインドネシアに移住します。また、調査や活動を続ける傍ら、自宅をアートスペース「Artist Support Project」とし、自身の絵画による実践とは別の形で文化と交流について考えていくプロジェクトを運営します。そして、そうしたなかで浮かび上がってきた新たな課題に挑戦すべく、2020年春にオランダに拠点を移すことになります。本企画では、各地で制作した作品に加え、「Artist Support Project」での活動のアーカイブも展示し、横内がアーティストとして、異文化に属する文物のイメージの接続、人々の交流についてどのように思考を巡らせているのかを包括的に提示します。

移動や対面でのコミュニケーションが叶わず、オンラインにそのほとんどを代えざるを得ない日々は、まだしばらく続くことでしょう。自分の前にあるディスプレイの画面とヘッドフォンを通して出会う人々、出会う世界は近いようで遠く、それらに心奪われるというよりは、いつしか内省している自分に気づくことの方が多いのではないでしょうか。いまは、外からの刺激を糧にして動くのではなく、立ち止まっているからこそ見えてくるものに目を向け、聞こえてくるものに耳をすまし、未来に備えて自分の中に「考えをたくわえるとき」なのかもしれません。このような時代において本企画が「これから」のためのたくわえとなる「出会い」をもたらすものの一つとなることを願います。

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作家
入江波光竹内栖鳳村上華岳横内賢太郎渡辺与平
会場
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA
展示室
@KCUA 1, 2, Gallery A, B, C
会期
2020年9月12日(土)2020年10月25日(日)
企画
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA
企画協力
長坂有希(京都市立芸術大学芸術資料館収蔵品活用展)
主催
京都市立芸術大学
(京都市立芸術大学特別研究助成 2020-006)
協力
ケンジタキギャラリー
お問い
合わせ

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA
Tel: 075-585-2010
メールでのお問い合わせは、
お問い合わせフォームからお送りください。

Artist Profiles

作家プロフィール

横内賢太郎(よこうち・けんたろう)
1979年千葉県生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業、2007年京都市立芸術大学大学院博士(後期)課程油画領域修了。2014年よりポーラ美術振興財団在外研修員でインドネシアに渡り、その後ジョグジャカルタに移住。作品制作と並行し自宅を改装したアートスペース「Artist Support Project」を運営。2020年春よりオランダに拠点を移す。光沢のあるサテン布に染料やメディウム等により滲みのある独特な画面を作り、東洋に対する西洋の関係性あるいは、交わりをあらわにする。主な展覧会に、「横内賢太郎 CONTACT」(愛知県美術館 コレクション展示室、2020年)、「Lintas House / ASP from Yogyakarta, Indonesia」(Basara House、大分、2019年)、「Collective Storytelling」(瀬戸内国際芸術祭、2019年)、「Collective Storytelling -Contemporary Art from Yogyakarta, Indonesia」(Synesthesia、NY、2019年)、「大和コレクション VII デイ・ドリーム つむがれた記憶」(沖縄県立博物館・美術館、2015年)、「キュレーターからのメッセージ 2012 現代絵画のいま」(兵庫県立美術館、2012年)、「桃源万歳——東アジア理想郷の系譜」(岡崎市美術博物館、2011年)、「MOT アニュアル 2010」(東京都現代美術館、2010年)、「VOCA 展 2008」(上野の森美術館、2008年)など。岡崎市美術博物館、東京都現代美術館、豊田市美術館、高松市美術館にパブリックコレクションがある。

*横内賢太郎 ウェブサイト
*Artist Support Project ウェブサイト
入江波光(いりえ・はこう)
1887年京都府上京区生まれ。1905年京都市立美術工芸学校卒業。1907年同校研究科在学中第1回文展に《夕月》が初入選。1911年京都市立絵画専門学校卒業。同校研究科修了後、同校嘱託として東京美術学校などで古画の模写を行う。1918年第1回国画創作協会展で《降魔》が国画賞となり、翌年から会員となる。1922年渡欧。1928年に国画創作協会が解散した後は画壇を離れ、模写研究に努める一方、仏画などの水墨画研究を行った。1918年京都市立絵画専門学校助教授となり、1934年から没年まで同校教授。1948年没。
渡辺与平(わたなべ・よへい)
1889年長崎市生まれ。旧姓宮崎。1902年京都市立美術工芸学校に入学。日本画を学ぶ傍ら、鹿子木孟郎に洋画を学ぶ。1906年同校卒業後、上京し、中村不折の太平洋画会研究所に学ぶが、翌年病を得て帰郷。1908年再上京し、同年第2回文展に《金さんと赤》が初入選。1910年第4回文展で《ネルのきもの》が三等賞を受賞。太平洋画会員となる。1906年頃から「ホトトギス」をはじめ、雑誌や新聞の挿画(コマ絵)の仕事をするようになる。これらのコマ絵は「ヨヘイ式」と呼ばれて人気があり、竹久夢二と並び称された。1912年没。
村上華岳(むらかみ・かがく)
1888年現在の大阪市北区に生まれる。1907年京都市立美術工芸学校卒業。1911年京都市立絵画専門学校卒業。同校研究科に進み竹内栖鳳に師事した。早くから歌舞伎や文楽、浮世絵などに興味を示し、仏教美術にも深く傾倒した。1908年第2回文展で《驢馬に夏草》が初入選し三等賞を受ける。1918年、土田麦僊らとともに国画創作協会を結成。病気療養のために1923年芦屋へ転居。1927年には神戸の養家に戻り、1928年国画創作協会解散後は個展中心の活動を行った。1939年没。

Installation Views

会場写真

撮影:来田 猛

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