REPORT @KCUA

たねまきアクア 08

ある探求のかたち──mamoruと@KCUAの往復書簡から

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAでは毎年、本学芸術資料館収蔵品のさまざまな活用のあり方を探るべく、実験的な企画を実施しています。2021年度は、想像を喚起する言葉やイメージ、そして歴史の中に埋もれてしまった小さな出来事に意識を向けて、全感覚を傾けそれを聴き、探究する活動を続けてこられたアーティストのmamoruさんと協働し、〔アーカイヴ〕の「声」を聴き、考察することを試みます。3ヶ月にわたって続くこのプロジェクトでは、京都市立芸術大学の収蔵資料とmamoruさんのアーティスティック・リサーチにまつわる資料や映像を用いて、会期を大きく4つに分けて会場の様子を変容させながら、〔アーカイヴ〕の新たな語りの可能性を探っていきます。集められた資料から生まれた「声」、「音」が響き合うさまから生み出されるものは何か──そんなプロジェクトの準備の断片を少しだけ紹介します。

リサーチを始める、または結果として始まったのはあの時だったと後から思う、地・時点というのは、何気なくか、注意深く観察をしていてかは別とせず、世界の表層に亀裂やその痕跡を目撃するときであったり、ひそかに裂け目がひらく際のかすかな兆候を聴き取る時であったり、世界の厚みが起伏し特異な地形を織りなしている様に圧倒されるときであったり、見えはしないけれどその響きからその周囲に通常ならざる奥行きのあることを感じる「ある言葉」を感知したときなどで、つまりこれらが契機となって、私の興味関心が世界の、その歴史の、ある特定のノード・結節点へと向かい、絡まり合いながらも、それく地・時点だ。そして、それが結果として少なくとも私にとってはある種の「知」を生み出していくきっかけになっている。これをいかに開示し、提示するかということがアーティストとしての仕事だと思っている。

書いていて何故かまっさきに思い起こされたのは、それまでに何度も通った道を地図で眺めていた時に、周囲の他の道路とはまったく違う意図をもっていること、そういえば歩いているときもその道は「斜めに伸びている」*と感じさせていたこと、まるで他の計画を切り裂くかのように伸びている、と気づいた瞬間 (THE WAY I HEAR, Fuchu)のことだ。

その他にも数え切れないほどのリサーチ・ハイとそれをもたらし時として実際にそれ以前にはなかった理解へのブレイクスルーの起点となるそれらの結節点。そこにあってありまたあり続けるだろう黙した世界の一部分。聴かれ、眼差されることで再生成する可能性を含む、という意味で感知可能で認知可能ではある。だが大部分の世界を動かすエコノミーによっては注意をむけられることもなく、意味づけられることもなく、未分化であり価値が無いとされている。 アーカイヴはニュートラルではないが、未分化と再生成、その間にあるようなもの、そのことを準備する用意する行為だろうか?

mamoru, 2020.12

THE WAY I HEAR (2011–2015)

特定のロケーションにおける過去−現在−未来/架空の「音風景」を、実際のリスニングや、インタビュー、資料リサーチ、専門家とのコラボレーションなどによってテキストに書きおこし、レクチャーパフォーマンス、映像、テキストスコア、インスタレーションなどの形で発表。鑑賞者はテキストや空間を「楽譜」の様にして読み解きそこに提示されるサウンドスケープを想像する。

THE WAY I HEAR, Fuchu (2012–2013)

府中市美術館の立地にまつわるリサーチと、それらをもとにしたレクチャーパフォーマンス。

*「斜めに伸びている」道

mamoruは府中での滞在中、ほぼ毎日歩く富士見通りと府中市美術館が位置する府中の森公園とが交わる形をどうにも不思議に感じていた。リサーチの途中で富士見通りに以前SLが走っていたことを知り、地図へ線路を描き入れてみると合点がいった。SL用の引き込み線は、1940年に浅間町(府中市美術館の所在地)に建設が開始された陸軍燃料廠という燃料の研究施設へ主に石炭などを運び入れるために敷設され、戦後は米軍に接収された。廃線となった後、1975年に現在の富士見通りが完成した。

http://www.afewnotes.com/TWIH_Fuchu201213_rs_jp.html

mamoru〈思索の地図〉2020.12

Online Dialogue|mamoru ⇄ @KCUA

mamoru→@KCUA

京都でお話したことも思い出しつつ、書かれているほどにはまだまだ確信していないですが、たたき台というか、ここからアイデアが出発点していくための準備のような文章を書きました。私としては今回の機会を、こういう思索・実験・研究の場としたいと思っています(呼び方はなんとでも)。
全体のイメージとしては、過去未発表エピソードなどを含む、または新作の「レクチャー・パフォーマンス」作品とプラクティスに関する解体・開示的な展示(を通した「思索」そのものがdurational な「パフォーマンス」として記録され、テキストとして、提示される)が、何回かのミニ会期にわけて変容していく、というものです。


@KCUA→mamoru

魅力的なご提案、ありがとうございます!「思索」は、止まることのないものなので、ある時点で展示の形として止まった形で見せることはできても、本当の意味でのその面白さを伝えられないと考えると、展示の形態が変化していくことと合わせて、その過程をどう見せていくのか、というのもチャレンジングですね。


mamoru→@KCUA

取っ掛かりではありますが面白がってもらえてよかったです。
思索のdurational performance としての展示、というよりは展示を含む思索のdurational perfromanceというニュアンスですかね。
思索の辿る・辿った軌跡を含む素材を、時系列とそうではない時間軸が共存する時間上に編集しなおし、パフォーマンス(や映像)の構造にするというのは、これまでの自分の作品でもわりと基調になっているものです。それを展示に落とし込むというのをこれまで試みなかったわけでもないのですが、そもそも無理があるというか、その必要をどうしても感じないので、自分が基調としているものを展示と昇華する、という課題に設定しなおしたらいいんじゃないかと考えているところで、@KCUAでもその方向の実験がやれたら良いなと思っています。
展示、作品をひとつのピークと考えると、前作品段階・前展示的な要素という位置づけが生まれますが、そういう認識を変化させることで別のやりかただったり、見え方だったり、経験のあり方を提示できればと思います。美術の制度にある作品・展示至上という構造に対する、ある種の応答なのかもしれません。


@KCUA→mamoru

展示の作り方も変えてみても良いかもしれませんね。例えば舞台を作るとすると、通常であれば土台から順に積み上げていくところ、わざと端から作っていって、できている部分と途中の部分がわかるような感じで組み立ていく、とか。
その変化の様子を何らかの形でわかるようにしておくのも良いかもしれません。次回のミーティングでアイデア交換できましたら。


mamoru→@KCUA

前回のミーティング以降、いろいろと思索しています。今回のプロジェクトには、コロナ禍だからという逃げではなく、自分のパフォーマンス作品を作っていく仕草や、アイデアが生まれてくる源泉に近い何かへアプローチしているのを感じています。

research view, mamoru

このプロジェクトは3ヶ月超の時間を要する。でも『おそらくこれは展示ではない』。

強いて言うならば、ひとつの体験としてはなかなか把握しきれないだろう時間のなかにつくられていくストラクチャー、期間中に生まれる様々な響きとその重なりや残響によってうみだされるコンポジションだ。

そう、譜面はある。もちろんプレイヤーもいる。アドリブが生まれ、予期せぬ飛び入りもあるかもしれない。

コンポジションは自身を拡張したり、越えるための手がかりをも抱いている。そうであってほしい。

有観客だろうが、ブラウズする人だけになろうが、そこに人が行きかい、厳密に言ってフリーではないがジャズではあるかもしれないそれを、おそらくほんの一部だけを聞く、あるいは目撃し、何かしらのタイミングとチャンネルがあえば体験する。

今度のコンポジションのマテリアルにはWeb、ハイパーテキスト、展示空間、イヴェント、パフォーマンス、その他に具体的なテーマとしてはアーカイヴ、それに関連して特に自身のこれまでの活動そのものをマテリアルとしたものにしたいと考えている。それぞれは特段新しいマテリアルでもないだろう。ただ、私にとってのチャレンジは果たしてこれらをどうコンポーズし、自分を含むプレイヤー達に伝達するものとしていかに記述し得るのか、という点。そしてそれはほぼ同時にパブリックにむけられる。それはパフォーマンスなのだろうか?そんなパフォーマンスは可能なのか?という点。

mamoru, 2021.08

2021年12月。mamoruが描いた思索の地図(上図)の中から〔歴史〕と〔アーカイヴ〕の2つのキーワードとそれらをつなぐ言葉に着目し、京都市立芸術大学芸術資料館の収蔵品*の中から、かつて学校の活動の中で実用されていたけれど、いつしか省みられなくなってしまった、収蔵庫に眠り展示室にも出てくることのない 資料のいくつかを選んで会場に運び込む。

そんなところから、始める。その行為は〔アーカイヴ〕 にまつわる「声」を呼び覚まし、新たな物語を紡ぎ出すきっ かけとなるだろうか?

@KCUA, 2021.09

*京都市立芸術大学芸術資料館の収蔵方針はかなり明確で、収蔵品は大きく分けて明治期(明治27年の京都市美術工芸学校卒業作品)から現在までの「卒業・修了作品」、創立時から収集されてきた「参考品」の2つの柱に分けられる。「参考品」は、教育活動を背景に収集された資料で、実際の教育課程で用いられてきたもの、また教育活動の歴史を研究する上で重要な資料が中心となっている。

2021年10月31日(日)更新

mamoru(まもる)
1977年大阪生まれ。2001年ニューヨーク市立大学音楽学部卒業、2016年ハーグ王立芸術アカデミー/王立音楽院・大学院マスター・アーティステック・リサーチ修了。平成27年度文化庁新進芸術家海外研修制度研修員。主な展示に「第10回恵比寿映像祭「インヴィジブル」」(東京都写真美術館、東京、2018)、「他人の時間」(東京都現代美術館、東京、2015 / Queensland Art Gallery、ブリスベン、2016)、「MEDIA ART/KITCHEN, SENSORIUM」 (アヤラ美術館、マニラ、2013)、「虹の彼方 こことどこかをつなぐ、アーティストたちの遊飛行」(府中市美術館、東京、2012)、「再考現学 / Re-Modernologio」(青森国際芸術センター、青森、2011)など。