REPORT @KCUA
mamoru「おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)」
phase (0以前から)2(から3へ)に関するレポート
藤田瑞穂(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA チーフキュレーター/プログラムディレクター)
「おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)プレイヤー:
mamoru:今回のプロジェクトの発案者。プロジェクトの発信源となるハイパーテキストの執筆者。そのテキストは転じて各プレイヤーに向けた投げかけでもあり、時にはスコア的なものにもなっているので、いわばコンポーザー的バンドリーダー的な役割のプレイヤー(相当な部分が各プレイヤーにゆだねられているため、プロジェクトを「私の作品」のようには考えていない)。2階のシアタールームの映像出品者。
池田精堂:会場を舞台に設営作業=展示技術を用いたパフォーマンスを行う。
仲村健太郎、小林加代子(Studio Kentaro Nakamura):特設ウェブサイトならびに関連資料のデザインを担当。
松本久木(有限会社松本工房):「第十門第四類」のフライヤーならびに@KCUA会場のビジュアルデザインを担当。
藤田瑞穂(@KCUA):「第十門第四類」構成、各フェーズでの変化に伴ってアップされるテキストと記録、プロジェクトの企画・運営を担当。
2022年2月1日、「おそらくこれは展示ではない(としたら、何だ?)」phase 2 開幕。この時点でのphase 1からの変更点は、エントランスのサインのphase 2仕様へのアップデートのみ。
2月6日、mamoruより特設ウェブサイトのハイパーテキストのアップデート版(「phase 2」仕様)が発表される。
2月7日、設営作業が行われる。
飛行機が目的地に近づき、高度が下がってきたなと身体が感じてしばらくすると、やがて窓の外に陸のかたちが現れ、さらにだんだんその細部が見えてくる。
絵手本たちが雲のように上空に上がっていったのと交代に、思索の言葉が床に映り込んだ影となって、かたちを持つもののようになっている。
phase 1の設営作業で追加された、「学ぶ」こととは何かを問う映像の続編となる新しい映像を設置。登場する三つの声による会話は、学ぶことによる何らかの気づきは決して一つの経験だけから得られるのではなく、生きてきた経験の全てに影響されたものであることを示唆している。
ここまでで設営作業はまだ途中。次の休館日に続きを実施するとして、解散。
2月11日、千葉市美術館でmamoruのパフォーマンス「あり得た(る)かもしれないその歴史を聴き取ろうとし続けるある種の長い旅路、特に日本人やオランダ人、その他もろもろに関して」を、12日、神奈川県の猿島で行われている「Sense Island -感覚の島- 暗闇の美術島 2021」で、mamoruの映像作品《おだやかな孤独》を鑑賞。
私はこの二日間で立て続けに「mamoru」を体現したかたちの違う二つのものを観て、「展示」/「展示ではない」の境界線と、それぞれの空間を満たす何かの濃度の違いについて頭を悩ませていた。考えて、考えて、考えているうちに、ゆっくりとではあるが、なんだかモヤが晴れてくるような感覚が少しして、やがてイメージの断片がふわっと脳裏に浮かび、スルスルと結びついて思考してきたことがかたちを作りはじめた。私にとっての「腑に落ちる」瞬間を言葉に表すと、こういった感じのものになる。
そしてふと気がついた。もしかすると、いままさに私の頭の中で起こっているこれは、あの三つの声の会話と同じようなものなのではないか。私には重なり合う経験の声は聞こえてこないけれど、物事を捉えるのにどういった感覚をより研ぎ澄ませるかによって、その現れ方が違ってくるだけではないだろうか。そうなのか。そうかもしれない。そして私は今までの経験の多くをどうやら耳ではなく目で得てきたのだということに、今更気づかされたのだった。
いずれにしてもこの現象は、mamoruの言葉、いや感覚を借りて言えば、
比較的、slowlyに、
あぁそういえばこんなことも影響しているに違いない、
あぁそういえばあんなことも影響しているに違いない、
あぁそういえばこんなことも影響しているに違いない、
あぁそういえばあんなことも影響しているに違いない、
あぁそういえばこんなことも影響しているに違いない、
と、複数形でリマインドされた、というわけ。
という「学び」、いや「生きる」のかたちが表れたものである。
誰かの生きてきた経験と、また他の誰かが生きてきた経験がすれ違う瞬間があったとして、そのときになんらかの出会いがあって、互いに呼応し、それが経験の足し算ではなく掛け算になろうとするとき、こうして重なり合う複数の「声」を聴くことができるのだろう。その「声」はか細かったり、あるいは威勢が良かったり、さまざまなかたちで現れてくる。そんな「声」を聴き逃さないための行為が、(主に耳によって)思索にふける、ということなのかもしれない。
閑話休題。2月14日、設営作業の続きが行われる。
phase 2 とは起承転結の「転」である、として、池田精堂の「プレイ」によって大きな壁が傾けられていく。壁だったはずのそれは、急に物質感を伴って、空間の中でその存在を主張している。
12月に「展示」されていた資料たちは、確かにまだそこにはいるのだけれど、もうその全貌を見ることはできなくなった。そう、ついに何かが大きく動きはじめたのだ。「最終的な考察をしつこく行う、が(あるいはそれによって)極力、断定的な振る舞いは回避、保留され、結論はどこまでも先送りされることが告げられる(んじゃないかと現時点では思っている)だろう」という、phase 3に向けて。
私は2月11日のパフォーマンスでこっそり拾ってきた「かけら」を、空間にそっと忍ばせた。
2月23日、mamoruが会場に姿を現す。「まだ途中」というメッセージを受け取った、という言葉を残して、彼はまた思索の森に消えていった。
(phase (0以前から)3(からどこへ?)に続く)
2022年3月03日(木)更新
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